こんにちは。
ただ今占い修行中のハッピー、
8歳、小学生です。
修行中でも人生楽しく。
いろんなオモシロ話をお伝えします。
プロローグ
1862年7月4日、イギリスのとある村で
ある男性が知人の娘たち3人と川遊びに出かけました。
手漕ぎボートに乗って川遊びする間、
少女たちは男性にせがみました。
ねえねえ、何かお話しして~
そこで男性が話したお話が、
とっても不思議で面白くて
少女たちは夢中になって聞きました。
それから3年後の7月4日、
ある1冊の本が出版されました。
その本は瞬く間に大ヒット。
そして、150年以上たった今も
50以上の言語に翻訳され、
映画や演劇、ファッションまで、
さまざまな分野のモチーフになってます。
さあ、この物語とは一体なんでしょうか?
この物語のタイトルは?
少女たちにお話をしたボートの男性。
この男性の名前は
後の「ルイス・キャロル」です。
え?ルイス・キャロルって女性じゃなかったの?
この人がルイス・キャロルです。
そうこの日生まれた物語とは、
「不思議の国のアリス」だったんですね。
実はこのルイス・キャロルことドジソンさん。
数学の天才で、
写真家でもあったのですが、
詩や物語も作るマルチな才能の持ち主でした。
ルイス・キャロルことドジソンさんが
どうやって「不思議の国のアリス」を書いたのか
ご存知でしょうか?
不思議の国のアリスができるまで
不思議の国のアリスがどうやってできたか。
それは「金色の午後」と
「幼いアリス」との出会いがあったからなのです。
3人の少女との出会い
ドジソンさん(=ルイス・キャロル)は
英オックスフォード大学を卒業。
その後、関連のクライストチャーチ・カレッジで教員をしていました。
この学校はあの「ハリーポッター」の舞台にもなったそうです。
すごい所なんだね!
ある日、カレッジの学寮長ヘンリー・リデルが妻子を伴って赴任してきました。
そしてドジソンは、彼の娘の幼い3人姉妹
「ロリーナ」
「アリス」
「イーディス」
と友達になったそう。
彼は特に次女のアリスがお気に入りで、
川遊びではアリスを主人公に即興でお話をしたそうです。
こうしてできた「不思議の国のアリス」。
いいお話ですね。
ちょっと待って!
幼い姉妹って
この時アリスは幾つだったの?
いい所に気がつきましたね。
この時アリスは「9歳」。
当時ドジソンさんは30歳。
その友達というには確かに不思議な気がしますね。
こういうところが後にフロイトが
「不思議の国のアリス=ロリータ・コンプレックスの物語」
と位置付けたもとになっているのかもしれません。
が、結局のところ誰にもわかりませんね。
あらまあ
お話おじさんとアリス
一体、ドジソンさんは幼い子供たちと
どうやって過ごしていたのでしょうか?
当時のドジゾンは、「写真」に興味があり、
リデル一家の子供たちの写真を撮っていたそうです。
しかし当時、写真一枚撮るのに1分近くかかったそうです。
1分間も子供たちにポーズを撮らせておくのは大変ですよね。
ね、スタジオ・アリスさん。
とにかく子供たちをジッとさせるため、
彼が即興で物語を語ることで、
子供たちはリラックスして撮影されていたそうです。
だから、子供たちにとっては
「お話上手のおじさん」だったんですね。
子供って大人に遊んでもらうのが大好きですからね。
⇒それをみると自分もうれしくて、またお話ししちゃう
⇒また子供たちが喜ぶ
⇒続く
みたいな流れだったのかもしれません。
「金色の午後」と名声
そして運命のその日。
手漕ぎボートに乗って
川遊びするドジソンと3姉妹。
夏の日射しが水面に反射し、
後にドジソンが「金色の午後」と
形容した日の1862年7月4日。
いつものように即興でドジソンはお話をしました。
ねえねえ、何かお話しして~
そしてこの時の即興のお話がもとで、
彼は大金も名声も手に入れました。
その後、1872年にアリスの冒険を描いた
続編『鏡の国のアリス』が出版されます。
これもまた大ヒット。
どのくらいのヒットかというと、
当時のヴィクトリア女王から
「あなたの著書を送って欲しい」
と言われるくらいの人気作家になったんです。
実はドジソンさん。
その時本名で出版していた、
『行列式初歩』という数学書を送り、
女王がびっくりした、
という都市伝説があるらしいです。
女王にまで知られるなんて
ドジソンさん、すごいですね!
ところが、楽しい日々は終わりを告げるのです。
え、そうなの?
ドジソンとアリスのその後
そんなに本がヒットしたなら、きっとモデルになったアリスも喜んだでしょうね。
ところが、本の出版前には会わなくなったそうなんです。
謎の空白期間
実はリデル家の娘たちとは
あの「金色の午後」の約1年後以降、
何かがあって親しく遊ぶ時間は
終わってしまったみたいなのです。
え?そうなの?
当時のドジソン(=キャロル)の日記に、
1863年の6月までは楽しくピクニックに行く
様子が書かれているそうなのです。
ところが、その次のページは
彼の遺族がカミソリで切り取ってしまったそうです。
しかもその後、
リデル姉妹とのことは
「偶然会った」
程度の記述しかなかったため、
1863年の6月のピクニックで何が起きたのか、
誰もわからないそうです。
一説によると
ドジソン(=キャロル)が
「アリスに交際を申し込んで断られた」説や
「長女のロリーナに結婚を申し込んで断られた」説があるそうです。
もしかしたら、変な噂がたち、
「もう遊びにいってはいけません」と
母親が娘達に言ったのかもしれませんね。
もしリデル姉妹との仲がもう少し続いていたら…
作家「ルイス・キャロル」の名作は
もっと増えていたかもしれませんね。
残念です。
歴史の「もし~だったら」は禁物と言われますが、想像するのは楽しいですね。
それでもドジソン君はへこたれない?
ドジソンさんはその後どうしたのでしょうか?
ショックでお友達は作らなかったのかな?
実はその後も「ドジソン=ルイス・キャロル」は、
やっぱりたくさんの少女たちと友達になってたみたいです。
なんと!それってやっぱり…
そしてやっぱり当時でも
いろいろ噂になっていたようです。
あの「金色の午後」から
約30年たった1893年、
晩年のドジソン(=キャロル)に
妹のメアリーが
「少女たちと親しくするのは、
世間の噂になるのではないか」
と心配の手紙を送ったそうです。
それに対する彼の返事は
人生は何もできないまま終っちゃうよ
というものでした。
結局、いい仕事をするためには、
ある程度鈍感で人目を気にしない、
ということが大事ということなのかな?
いつも他人の評価が気になり
やりたいことができないと
嘆いているあなた。
そんな事を気にせずに、アリスみたいに冒険しちゃいましょ。
面白かった?
これからも占い修行の合間にいろんなお話を書いていきますね。
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